自然風景が広がる弟子屈では、有名な写真家も在住されています。いくつもの自然写真集出されている水越さんもその1人で、私が尊敬する写真家のお1人です。町内で時々姿をお見かけすることがありますが、私なんかは恐れ多くて話しかけることすらできたことがまだ一度もありません。
ただ彼の書籍はほとんど入手して時々本棚から引っ張りだしては目を通しています。彼は写真集だけではなく、写真にまつわるエッセーも出されており、この「月に吠えるオオカミ」もその一冊です。出生から今までの、自然と写真への向き合い方の変遷が描かれており、信州の山や世界の秘境、熱帯雨林など地球を股にかけて仕事に取り組んでこられた姿がそこにはあります。
そして特筆すべきは、世界の中の北海道や道東として近隣を取り上げているところです。オホーツクの流氷や屈斜路湖、阿寒の森など、特にその冬の情景をありのままに描いてくれています。
その反面、「19世紀後半までは北海道に地球上でもっとも美しい自然が見られたのではないかp102」とも書かれています。世界を見てきたからこそ言える本心であり、私の心を大きく揺さぶる言葉でした。
それは、私も含めて自然豊かな場所だと国内では思われている北海道の自然は、改めて見回してみると、原生的な自然はほとんど残されておらず、開拓されてきた上での自然が広がっているだけであることに気づかされたからです。空から見るとそれはより鮮明に映し出されます。広がっている森も大部分は造林地であり、緑が広がっていてもそれは農業用地です。
もちろん、厳しい冬を乗り越えてでも開拓してきてくれた農家さんたちがいなければ、今の私はないわけですから、過去も現状も私なんかが否定できるものではありません。でもだからこそ余計にこの言葉に心打たれたわけです。
このコロナウイルスの感染拡大により世界は大きく震撼し、今でも油断はできない状況が続いています。特段、環境問題とウイルス感染拡大には直接的な関係はないのかもしれないですが、それでも経済活動が著しく停滞してしまったことで排出される二酸化炭素などが減少するなどはあったのではないでしょうか。
現代の日本は資本主義社会を成熟させることで、日々の衣食住の心配をする人は激減しましたし、その恩恵を私たちは今まさに受けているわけですが、それでも本書のあとがきにもあるとおり、これからの新しい価値観を形成していくためにも、1人1人が世界規模でみた地球観を持つことが大事になってくるのではないか、改めて読み返してみると、そう思えるのです。
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