阿寒摩周国立公園では、阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖を巡ることができるように、なのかは定かではありませんが、昭和9年に国立公園として指定される数年前に3つの湖をつなぐ道路が建設されました。当時の阿寒横断道路は自動車が一台通るのもやっとの険しい道のりだったようですが、現在、整備は進み、3つの湖を1日で周遊することができるようになりました。そこで、今回は(阿寒国立公園の三恩人を参考に)そんな昭和初期当時の観光プランを少しだけ垣間見て現在と比べてみようかと思います。
釧路を発着として4,5日かけて巡るプランとして提唱されていたのが、雌阿寒岳や雄阿寒岳、摩周岳を登り、湖上を船で遊覧、余裕があれば河川で釣りもしながら、周遊するというアクティブなものでした。阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖だけでなく、現在は一般立ち入りできないペンケトーなどの湖沼群も含まれていたようです。理想的な長期滞在のプランですよね。
また長期滞在ではなく、登山などをしない、いわゆる周遊のみの短期滞在もプランとして挙げられていました。基本的には釧路を発着として、3日間かけて阿寒湖・屈斜路湖・摩周湖を自動車で巡るというものです。
これらは、悪路だったとはいえ、建設されたばかりの道路があったからこそ、長期から短期まで、訪問者を受け入れることができていたのでしょう。
ここで気づいたのですが、悪路ゆえに移動に時間がかかったでしょうから、周遊できる景勝地に多少の違いはありますが、現在の観光と何ら変わらないプランが提唱されていたということです。それだけ、道東の観光は自然資源と張り巡らされた道路に依存しています。
現在、道路環境が整備され、自動車で移動できる距離は伸び、周遊できる景勝地の数が増えているお陰で、訪問者にとって訪問できる場所の選択肢が増えています。しかし、地域ごとに、少しでも自分たちの住んでいる場所で時間を過ごしてほしい、宿泊してほしいと、様々な取り組みをしていますが、結局、自然景勝地を自動車で訪問しながら周遊するというスタイルは変わっていません。
では何が変わったのか。それは、これらルートをバスツアーで回るか、自分の運転で回るかなのではないでしょうか。
現在、観光の問題として、大型バスツアーの減少や、利用者の減少から列車の減便、2次交通の不便さなどが指摘されています。しかし、こうして、今昔を見てみると、阿寒国立公園の三恩人でも確証はしていませんが、まるで国立公園指定を後押しするかのように自動車で巡れる道路を企画・建設しており、そもそも車で周遊することが、阿寒摩周国立公園観光のメインの利用方法だったのではないかと思えてきます。
ここからは私のまとめですが、自身がガイドもするので、チグハグな意見となってしまいますが、営業しているお店やガイドを一生懸命PRするのではなく、ドライブによる景勝地周遊が昭和初期当初からの国立公園のメインの利用方法であったならば、訪問できる資源を、メジャーな場所からマイナーな場所まで、1か所ずつしっかりと整備・PRすることで、観光を推進していくことが最も大切なのではないでしょうか。その上で、阿寒摩周国立公園を訪れてくれる訪問者が多くなり、お店やガイドがより利用されていくようになれば、また何か新しい仕組みが生まれるかもしれませんよね。
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