フィルム撮影だった写真はデジタル機器の発展によりデータ撮影となり、今では初心者向けのコンパクトデジタルカメラをオートで使うよりも、スマートフォン内蔵のカメラとアプリで撮影するほうが上手く写せると言う方もいるほど、写真がとても身近な存在になりました。そのブームに拍車をかけるようにSNSが全盛を極め、写真はみるみるうちに誰もが撮影することができるようになり、誰もが自身で発信できるようになりました。
私自身、10年以上前にデジカメ片手にSNSを始めた口。当時はオーストラリアに滞在していた最中で、もともと自然が好きだったこともあり、キャンプに行ったりアウトバックへドライブに行ったりしながら、スナップ写真を楽しんでいました。しかし、今振り返ってみると、自然の表面しか見えていなかったですし、撮影する被写体も撮影する自分自身も浅い考えしかなかったように思います。それが変わり始めたのが、本気で自然写真を撮影し始めてからでしょうか。
独学で写真を撮影しているのですが、まずは構図の作り方が分かる本を読み漁りました。今まではただシャッターを切っているだけだったのですが、何をメインに見せたくて、そのメインをどう絵の中に配置したら際立つのか、見せたい物が多すぎないか、メインをぼやかせてしまう何かが映りこんでいないか、被写体の足し算引き算、サブはメインに勝っていないかなどなどなど。
構図の基本を頭に入れたら、次は図書館にある写真集を読み漁りました。様々なジャンルの写真集を読んだ方がためになるとは思うのですが、僕は始めから自然写真しかやる気が無かったので、興味が向くままに自然写真集ばかりを読んでいきます。構図はどうなっているのか、なぜこの場面を撮影したのか、写真から紡がれている物語は何なのかなどなどなど。様々なことを考えていきます。
そして、ある時ふと、こうして考えたり写真を撮影していることは、自然散策をしている最中でも大活躍していることを実感しました。目の前にある景色のメインは何なのか、そのメインが醸し出している環境に対するストーリーは何なのか、なぜ自分は目の前にある景色に見とれているのかなど、写真撮影をすることで目の前の被写体に対して向き合うことができるのです。
すると私もまだまだ未熟ではありますが、少しずつ、自然と、自然の中で何かを発見する目を養うことができますし、自然に対する畏怖の念を抱くことができるようになっていくのが分かりました。
しかし、近年ただきれいな写真を撮りたいからとか、自分が撮影することができればいいとか思ってしまうことで、撮影に邪魔な草木を排除したり、入ってはいけない場所に立ち入ったりなど、10年以上前の私のように何も考えていないからこそ、犯してしまうマナーもあれば、考えが至り切れていないからこそ、犯してしまうマナーもあります。マナーを守ることもまた、自分の置かれている環境の一部なので、それらを守りながら、自然散策も写真撮影も楽しんでいきたいですよね。
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